風の小径

写真で綴る季節のひとコマ 

遠く海をこえて。

okko (id:okko326)  さんのエントリー「海を渡る」にインスパイアされて

エントリーしています。^-^

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 先日、同志社大学今出川校地にある「クラーク記念館」を見る機会がありました。

この建物は、新島襄亡き後、

その死を悼んだ教え子たちによって建てられたものです。

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しかし、この建物がなぜ「クラーク記念館」なのか?

それは資金に行き詰まり、その計画が頓挫しかけた頃、

アメリカのクラーク夫妻から1万ドルの寄付が寄せられたことに由来します。

そしてその寄付の条件として、

彼らの夭折した息子の名前を館名につけるというものだったそうです。

なので、クラーク記念館の入り口入ったところに、

"Byron-Stone Clarke Memorial Hall"とあります。

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この階段の手すりの形が美しくて、ついつい写真を撮ってしまいます。

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階段の踊場の窓。

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上にあがると、礼拝堂があります。

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木の椅子の前には聖書が備えてあります。

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天井のシャンデリア♪

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パイプオルガンも美しいです。

 

今週の「八重の桜」では、このクラーク館のある今出川校地、

すなわち旧薩摩藩邸を、覚馬に買わないかと西郷が話を持ちかけに来ていました。

こうして西郷が覚馬にこの地を売り、

そして覚馬が新島襄の新しい学校を作るという話に共感して、

またこの地を安く譲り、今の同志社大学があります。

西郷隆盛山本覚馬槇村正直山本覚馬槇村正直新島襄

そして山本覚馬新島襄

こうして人と人が繋がって行って、今、大学があるのですね。

(そしてそこで学ぶ学生たちよ、勉学にはげみなさいよ!…と、

自分の学生時代は棚に上げて思ってしまう…^-^;)

 

そして、今回、新島襄とともに登場したのは山川捨松。

山川家の末の妹で、当時の捨松は数えで12歳だったそう。

(なお、一緒に留学した津田梅子にいたっては数えの9歳だったそうです。)

今のように電話もネットもない時代、

異国に渡るのは船で何ヶ月もかかるという時代に、

まだ幼いムスメをアメリカに送り出すハハの思いはどんな思いだったのか…

「捨てて松(待つ)」と名付けたそのハハの心を思うと、

胸がいっぱいになりました。