11月の中旬過ぎに、八瀬の瑠璃光院へ行ってまいりました。
今季(2013年)、八瀬「瑠璃光院」は一般公開をしていません。
そのかわりに、午前と午後の部にわけて「写経と法話の集い」と、
夜間に「夢幻一夜」というライトアップを開催されていました。
(どちらも要予約。今季は11月27日まででした。)
私は友人たちと午前の部に申し込んでいました。
(※2017年現在、再び期間限定で一般公開されています。)
写経と法話は2階のお部屋にて。
まずはじめは、読経から。
お経の横に、小さな線が平行だったり上向きだったり下向きだったり。
これは、お経のイントネーションをあらわしています。
あ、まるでこれは中国語の四声だと思ったのですが、
よく考えたら、もともとお経は中国から渡って来たもの。
だからお経にもその名残があるのかもしれませんね?
この日は3度ほど、お経を唱えました。
その後、写経の時間となりました。
だれでも書けるようにと、ボールペンにて写経いたします。
(ボールペンは用意されていますが、私はmy pen持参で行きました。)
春に行った時にもテープルに置いてあった写経をしたのですが、
実は今回、そのときの書き方は間違っていたことに気づきました、^-^;
写経は上段→下段→上段→下段→上段→下段と書いていきます。
ところが、前回、私は上段を全部書き上げてから下段に写っていたのです。
いかにお経を知らなかったかがわかるお話です、^-^;;
今回は頭の中で読経しながら書いていったので、
わりとスラスラと時間内で書くことができました。
(写経はゆっくりと書くよりも、スラスラと早く書くものだと言うことも
今回知りました。)
写経のあとは法話の時間となりました。
そして、その中で「鳩摩羅什」さんについてのお話が興味深いものでした。
鳩摩羅什(くまらじゅう)は、大乗仏教をはじめて本格的に中国に伝えた
最初の三蔵法師*1です。
三蔵法師ときいてまず最初に思い浮かぶのは、西遊記。
そして西遊記の基にもなった玄奘三蔵です。
その玄奘よりも前に、中国に大乗仏教をもたらしたのが鳩摩羅什です。
(世界史で学んだことがあったような、なかったような…。^-^;)
彼はキジ国の王族の子どもとして生まれましたが、
幼い頃に母について出家します。
そしてインドに渡り、仏教を学びました。
その後、キジ国は後涼に滅ぼされ、捕虜となります。
そして後涼が後秦に滅ぼされると、今度は長安にうつります。
そして時の権力者の意向で還俗させられ、
その後、サンスクリット経典の漢訳に従事いたしました。
今、私たちの生活に入り込んでいる仏教の教えは、
もとをたどれば、この鳩摩羅什のおかげとなのですね。
法話の後の「お小昼(こびる)」
小昼(こびる)とは、朝食と昼食の間にとる軽食のこと。
これはおもに信州で農作業の間にいただくおやつのことだそうです。
小昼のあとは、お庭の紅葉をゆっくりと楽しむ時間となりました。
瑠璃の庭にお日様の光が降り注ぎます。
北側の窓からの風景。
瑠璃光院には30種類ほどのもみじが植えられているそうです。
なので、もう真っ赤になっているものもあれば、
まだ青く色づいていないもみじもありました。
1階のお部屋から瑠璃の庭をのぞむ。
光と影が織りなすお庭。
初夏に見た時にはここにモリアオガエルの卵がありました。
カエルたちはもう山で眠りに入った頃でしょうか。
もみじの向こうには白い山茶花も咲いています。
どの窓からも、もみじが見えます。
上屋敷から下屋敷への渡り廊下からの「臥龍の庭」のながめ。
寒椿がピンクの彩りを添えます。
臥龍の庭。
初夏に、ここにもモリアオガエルの大きなあわあわの卵がありました。
あのとき孵ったモリアオガエルはどのくらい生き残ったのでしょう。
(池のなかでアハカライモリが待ち構えているので、生き残れるのはほんの少し)
今日はお茶室の中にも入れました。
三条実美公が「喜鶴亭(きかくてい)」と命名された茶室です。
青い葉っぱで作った手製のほうきが何とも粋だったり。←そこ?!^-^;
お茶室からのお庭の眺め。
「むちんばし」と紅葉。
こちらのもみじはまだ青もみじでした。
山露路の庭のりっぱなもみじたち。
名残惜しいですが、門にかかるオレンジと黄色のもみじに見送られて、
瑠璃光院を後にしました。
<関連エントリー>
瑠璃光院の行きと帰り道の紅葉。
<初夏の瑠璃光院シリーズ>
(追記)
瑠璃光院、特別拝観、11月15日から。(2014年度)追記あり - 京の小径
*1:仏教の経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶(法師)のこと。