遅くなりましたが、11月18日紅葉狩りの続きです。
さて、この日の最後に訪れたのは「青蓮院門跡」でした。
(なぜに西の山から東の山へ?という突っ込みはなしで…^-^;)
青蓮院は最澄が比叡山を開くにあたって造られた住坊「青蓮坊」が起源。
別名を粟田御所といい、江戸時代には後桜町上皇の仮御所となっています。
「華頂殿」から。
この主庭は室町時代の相阿弥作。
池のまわりのもみじは色づきはじめという感じでした。(11/18)
「小御所」から「龍心池」のながめ。
「一文字手水鉢」秀吉の寄進によるものだそうです。
「小御所」と「宸殿」のあいだのもみじ。
オレンジ色と黄色のグラデーション。
「宸殿」からお庭を眺める。
いただいたパンフレットによれば、
「宸殿」というのは、門跡寺院特有の建物だそうです。
この「宸殿」の中に「元三大師」の像がありました。
元三大師は第十八代天台座主(天台宗の最高位)だった方。
元三大師といえば、廬山寺のこの護符の方ですよね。
↓
厄除けの「角大師」「豆大師」とも言われています。
廬山寺の元三大師の護符については、こちらで記しています。
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さて、青蓮院門跡に話を戻します。
元三大師は「おみくじ」を考案された方なのだとか。
青蓮院門跡のHPによれば、
元三大師は「おみくじ」について次の様に説いておられます。
「後世の複雑な社会に処して行く人々の困難を救うために、観音様から戴いた処方箋があります。これを自分の像の前に置き信心をこめて吉凶を占えばその願いに応じて招福を知らしめるであろう」と。
そして、効力のあるおみくじの引き方というものがあるそうで、
その説明書きがされていました。
まず、正座をして合掌。
次に精神を統一して「南無元三慈悲大師 常住金剛」と三度唱えます。
そして「南無観世音菩薩」と、三度唱えます。
そしておみくじの箱を手にとり、元三大師の像を見ながら
伺いごとに集中して箱を振ります。
私は今回は一緒に行った方がひくのを見ていただけで、
おみくじをひかなかったのですが、
次回、どこかでおみくじを引くときは、
ちゃんと心を落ち着かせて引かねばならないなと思いました。
(三度となえる言葉は忘れそうなので、
唱えるのは無理だと思うけど。^-^;)
ちなみにその時おみくじをひいた友、お二人とも「大吉」でした。^-^
「宸殿」の前には左近の桜と右近の橘。
橘の実。
「宸殿」から四脚門をのぞむ。
青空に向かって、北山台杉。
ここからお庭のほうに出られます。
玄関は平安絵巻。
華頂殿と相阿弥のお庭。
美しく色づいた紅葉が彩りを添えます。
この奥には霧島の庭、好文亭、大森有斐作の「前庭」があります。
もみじから龍心池を見る図。
大きなもみじ。
本堂。
宸殿。
宸殿と紅葉。
親鸞上人が得度なされたときのご様子だそう。
親鸞上人と言えば浄土真宗。
ゆえに、なぜここに親鸞上人?と思ったのですが、
実は9歳の時、ここ青蓮院門跡において得度されたそう。
(得度というのは、僧侶になるための出家の儀式)
入り口の大きな楠。
親鸞上人のお手植えとされています。
楠の向こうに見えるのは、長屋門です。
(おまけ)
門を出たところでエナガの鳴き声が聞こえてきました。
2羽おります。
さえずりながら、右へと左へと。
やっとこっち向きました、^-^;
(遠かったので、粗い画像ですみません。)
<御朱印>
ご本尊は「熾盛光如来(しょうじょうこうにょらい)」
熾盛光如来をご本尊としているのは、
全国でも青蓮院門跡だけなのだとか。
なお、今、将軍塚青龍殿にて
国宝青不動明王御開帳なのだそうですが、
時間がなかったので、今回は行けず。
とはいえ、公開が12月23日までなので、
再び行こうかどうしようか…と思案中。
(将軍塚からの京都市内の眺めもちょっと見てみたい…。)
<関連エントリー>
「京の小径」のほうにて、粟田山荘を記しています。m(_ _)m