少し時を遡って、6月の中旬の写真です。
高瀬川の二条から御池にかけては、
おもにガクアジサイの花が植えられています。
6月18日のブラタモリで高瀬川についての話がありました。
高瀬川は江戸時代初期、角倉了以が私財を投じて作った川なのだそうです。
私財を投じて作るとはすごいですね。
でも番組では、その後ちゃんとその分のお金はちゃんと高瀬川の運用で
元をとってお釣りもきたそうですから、
やっぱりお商売人さんってすごいなぁと思います。
今はこんな水の流れで?と思うぐらい、ささやかなせせらぎですが、
当時はもう少し多い水量がこの川を流れていたのでしょう。
それでも普通の川に比べると水深は浅かったのでしょう。
高瀬舟はそういう川に適した吃水の浅い小舟だったそうです。
それで高瀬舟が気になって調べてみれば、
高瀬舟は古くからある舟の名前だと知りました。
高瀬川はその高瀬舟にちなんでその名前がつけられたらしいのです。
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てっきり高瀬川にちなんだ小舟だからと思っていたら、
名前の由来がまったく逆だったとは。
森鴎外はかつてこの高瀬川のほとりに佇んで、
あの小説の構想を考えたのでしょうか。
とりあえず、私はこのガクアジサイを
愛でて写真を撮って行くだけです。^-^;
なんとなく逆向きハートっぽい?
佐久間象山、大村益次郎遭難之碑
なんだか複雑な色合いです。
こちらは木屋町の歩道側。
アナベルの白が印象的でした。
京の小径のほうで、
角倉了以が高瀬川を引いたところに作ったものについて
書いています。
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こちらは以前に取り上げた高瀬川紫陽花の記事
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