
みなさま、こんにちは♪
先週、上京区の小川通にある「本法寺」さんへとまいりました。
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前日からの雨でだいぶ散ったのでしょう、仁王門の前の桜はもう終わりかけでした。

でも本堂前の桜は満開でした。

とても立派な桜の木

桜越しの多宝塔

さて、この日「本法寺」さんを訪れた目的はこの「春季特別寺宝展」です。
なかでも長谷川等伯の「佛涅槃図」は、通常は原寸大の複製が展示されていますが、涅槃会にあわせて、この時期だけ真筆が展示されるのです。

本法寺の「佛涅槃図」は京都三大涅槃図のひとつと数えられ、縦約10メートル、横約6メートルの大きさがあります。
(ほかは東福寺さんの明兆作、大徳寺さんの狩野松栄作のものが京都三大涅槃図といわれています。また日本最大級のものとして、泉涌寺さんの明誉古礀上人筆の大涅槃図があります。等伯の涅槃図よりも大きく縦約16メートル、横約8メートルあるそうです。)
紙本彩色、慶長4年(1599年)等伯61歳の時の作品、3年の年月をかけて描かれたそうです。

長谷川等伯像
『佛涅槃図』について
・沙羅の木 4本の青い木と4本の枯れた木が描かれ、釈迦の肉体が滅びても教えは残ることを示しているそうです。
・袋 お釈迦さまの母摩耶夫人が天から投げた(霊薬が入った)袋が木にひっかかっています。薬袋がお釈迦様に届かなかったことを示しているそうです。投薬という言葉はここからきているとか。
ほかにも等伯自身の姿が描かれていたり、当時はめずらしかった洋犬が3匹、描かれていたりします。
(等伯はたびたび堺に行っていたという話、その頃の堺は外国との交流があったため、洋犬をつれて散歩しているご婦人がいたとか。)
等伯が描かれているのは、この涅槃図に後継だった息子「久蔵」の若すぎる死への供養もあったのだろうと思われます。
あと気づいたのは、上のほうは色彩豊かですが、下の動物のほうは墨絵っぽいのです。
(梟とか、あとでちょこっと描き足した感じがします。)

そして、その当時の等伯の人となりを知る手掛かりが、この涅槃図にありました。右下に「雪舟五代目」と書いてあるのです。彼は自ら雪舟の五代目であると自称していたらしいです。また、この涅槃図が完成した時に、お寺に奉納するまえに、まず宮中でお披露目をしたのだとか。当時の女官の日記にその大きさに驚いたという話が残っているそうです。(なんとか狩野派に対抗して自分を売り込もうと、宮中に乗り込んだのでしょうか?)

光悦翁お手植えの松
じつは「本法寺」さんは本阿弥家の菩提寺なのです。

奥に光悦が作庭したとされる「三つの巴の庭」があります。

お庭の入り口に光悦垣がありました。
↓その昔、光悦垣を知ったのは「光悦寺」です。

日蓮を表現したお庭
三つの巴は3ヶ所の築山で表現していたそうですが、残念ながら経年により築山のかたちはわかりづらくなっているそうです。

「日」をあらわす石

切石による十角形の池が「蓮」を表現しているそうです。
夏には蓮の花が咲くとか。^-^



光悦の蹲踞とキリシタン燈籠
(この角度以外に写真に撮ってなかったけれど、燈篭にキリスト像が彫られているのだそう…次回行った時にちゃんと見てきます)





こちらは「つなしの庭」
九つの石が置かれているにもかかわらず「十の庭」とするのは、見る人の心にもうひとつの石(意志)が存在するからだそうです。
一から九はひとつふたつと「つ」がつきますが、十は「つ」がつかないことから、十を「つなし」というのだそうです。
庭ひとつにも禅問答のような意味があるのですね。

唐門越しに桜が見えます。

こちらは唐門外側から。

ソテツ


本堂の「本法寺」の扁額は光悦の筆によるものだそうです。

こちらの桜が満開でした。

中から撮った桜の図

帰る頃になってようやく青空が見えてきました。

等伯も青空を見ているようです、^-^

本法寺さん、先日まで放映されていた「京都人の密かな愉しみ」のロケでもたびたび使われていました。
(オリンピックをはさんだせいか、録画だけしてまだ途中までしか見てないので、これから見ます、^-^;)

桜の花びらの中で、シャガが咲いていました。

摩利支尊天堂

千宗室さんのお名前がありました。

本法寺さんの斜め前には千利休ゆかりの地がありました。

千利休居士遺蹟不審庵

そして小川通のどんつきには俵屋吉富さん、「茶ろん たわらや」があります。
残念ながらこの日は定休日でした。(涙)
(おまけ)
この10日ほどの桜巡りを載せてます、^-^;
(追記)
「そうだ京都、行こう。」のサイトで大涅槃図の写真を見ることができますので、リンク貼っておきます。