今年から祇園祭は本来の祭りの姿に戻すため、
「前祭(さきまつり)」と「後祭(あとまつり)」に分かれました。
そして「後祭」には150年ぶりに「大船鉾」が復活。
「後祭」の宵山は今日から3日間(7/21-23)です。
昨日はその前日でしたが、大船鉾が見に出かけてまいりました。
大船鉾の駒形提灯。
通路が狭く、立ち止まることが出来ないので、写真を歩きながらパチリ。
船頭には、金の「御幣」が飾られています。
舵の部分は外されて展示されていました。
ご祭神は神功皇后。
(尊いお方なので、お顔は御簾で隠れているのだそうです。)
前祭の船鉾が出陣の時を、
そして後祭の大船鉾が戦に勝って凱旋するときを
あらわしているのだそう。
だから、ご神体も行きの「船鉾」では鎧姿だけれど
帰りの「大船鉾」では、狩衣をまとったお姿なのだとか。
安産の神様なんだそうです。^-^
今年はこの「大船鉾」の粽を買いました。^-^
そして、新町通りを北上していたら、
コンチキチンと祗園囃子の音が聴こえてまいりました。
「南観音山」です。
(夜なので、屋根の上に飾られる松が写真では写っていませんが…^-^;)
その真松を飾っていた鳥が、
去年まで南観音山が「オナガドリ」、北観音山が「ハト」でしたが、
今年から北と入れ替わり、南観音山が「ハト」になるそうです。
でも、それが本来の姿だとわかったそう。
北観音山、南観音山の「鳥」入れ替え 祇園祭・後祭 : 京都新聞
南観音山の見送「龍王渡海」。
龍の目が、太陽の光でキラリと光るようになっています。
これはクレサンベール・ルビーが埋め込まれているのだとか。
夜も外の照明の光を受けて、まるで生きているかのように光っていました。
「北観音山」
19日に「北観音山」と「南観音山」で「松選び」があったらしいです。
今年は北観音山が結び目のある荒縄が当たり、
松の選択権が与えられたそうです。
松ひとつとっても、ただ飾られているのではなく、
こうした行事を経て、飾られているのだと知ると、感慨深いですね。
コンチキチンと奏でる祗園囃子を、立ち止まってしばし聞き入ります。
ここではゆっくりと、水引や胴懸を拝見することが出来ました。
天水引は今年は雲龍図。(唐草模様と隔年で使用されるらしい。)
下水引は「関帝祭りの図」らしい。
ぐるりと一周すると物語を見ているようでなかなか楽しいです。
(関帝は、神格化された「関羽」のこと。)
二番目、三番目の水引は平成18年に江戸時代の姿に復元されたもの。
そして、四隅の房掛金具は祗園守なのだとか。
↑「祗園守」
北観音山 | 山鉾について | 公益財団法人祇園祭山鉾連合会
「黒主山」
六歌仙の一人「大伴黒主」が桜を仰ぎ見るのを題材とした山。
この桜は魔除けになるといわれているので、
黒主山の粽にはこの桜花が添えて配られるのだそう。
(この桜は来年の粽に添えられます)
「鯉山」
(疲れていたので、六角通から駒形提灯だけズームで撮る。)
でもここの前掛、水引、胴懸、見送はすべて、
16世紀にベルギーで織られた1枚のタペストリーで出来ているそう。
(見に行けばよかった…^-^;)
昼間にじっくりと見に行くのがいいかもしれません。
「浄妙山」
平家物語の宇治川橋の合戦の様子を再現している山。
この日は残念ながらご神体を見ることが出来なかったので、
巡行でまたお目にかかりたいものです。
(↑この山を引いている人たちの写真を見てみると、
みなさん、外国人ボランティアだったりする。)
ー☆ー
「後祭」は、今日(7/21)から3日間が宵山、そして24日が巡行です。
ところで「後の祭り」という言葉がありますが、
あれはもともとはこの「後祭」が語源とか…。
↓出典はこちら。
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