京都御所、秋の一般公開、前編からの続きです。
御池庭。
いつ見ても、この欅橋が美しいです。
御池庭の前にあります「小御所」。
いつもならここにお人形が展示してあり、
うしろの襖絵がお人形で隠れたりするのですが、
今回はお人形がなかったので、じっくりと見ることができました。
さて、今回の公開、実は2回見に行きました。
というのも、30日に行ったときに、私の背後にいた観光タクシーの運転手さんが、
御常御殿の蔀戸に「ほら、ここにも蝉がいるでしょ」とおっしゃっていたのです。
ここにもということは、小御所にもあったということ?
と、それが気になったので、翌日、もう一度、見学に来たという訳です。^-^;;
はい、ここに蝉がおりました。^-^
蝉の飾りがついている理由としては、調べたところ、
泥棒除けのお守りとか、防災のお守りとか諸説あるようです。
でも、この小御所の場合は、やっぱり防災のお守りなのではないかな…と。
というのも、小御所は昭和29年に五山の送り火の際の鴨川の花火大会の
花火が原因で焼失、障壁画の多くもその時に失われたそうです。
(そうか!だから有頂天家族のアニメで花火があがってたのね。
でも、この火事のあと、花火大会は中止になったそうです。そりゃそうだわな…。)
この建物は昭和33年に復元されたものだそうです。
だから、ここの障壁画はすべて模写なんですね。
左:柳鶯
右:清涼殿東庭において小朝拝。
中:粟津原
このように襖絵には和歌が貼付けてありました。
きっとその絵と合う和歌なのだと思われますが、達筆すぎて私には読めませぬ、^-^;
(こういう和歌が読めたらいいなとは思うのですが…。
どなたか読める方いらっしゃったら、教えてください。m(_ _)m)
(追記)
「粟津原」というのは、大津の琵琶湖を望む松原のことらしいです。
大津市の琵琶湖に臨む松原。近江八景の一「粟津の晴嵐 (せいらん) 」は、晴天時に山風がここを吹き渡る光景をいった。木曽義仲討ち死にの地。
こちらは「御学問所」。
岳陽桜図(がくようろうず) こちらは模写でなくほんまもんの原在照の作。
「蘭亭ノ図」(岸岱・作)
「十八学士東瀛州図(じゅうはちがくしとうえいしゅうず)」(狩野永岳・作)
瀛州とは古代中国において仙人が住むという東方の三神山のひとつだそうです。
ちなみにあとの二つは「蓬莱」と「方丈」だとか。
少し紅葉していますね。
建物は御常御殿。
さて、こちらは御内庭。
こちらも少し紅葉。
紅葉しかけた大きな樹の奥に小さな建物が写っているのが、見えます。
上の写真だと光で見えづらいので、2年前に撮った写真を貼付けておきます。
これは「地震殿」なのだそうです。
屋根を軽くした建物で、地震で御殿が倒壊した時用の避難所なのだとか。
御所にはちゃんと地震の備えがあったのですね。
御涼所。
山茶花が咲いていました。
御常御殿、二の間。「四季花鳥図」(鶴沢探真)
東面には燕と鴨たち、花は藤と杜若。(この写真は一昨年撮ったもの)
西面は鹿が遊びます。
鹿のまわりの花は萩や竜胆(たぶん)、それに紅葉。
見える面は初夏〜秋なので、
外から見えない部分に春や冬があるものと思われます。
ここの襖絵が私的には一番好きかもしれません。^-^
一の間は、「桃柳(朗詠の意)」小襖「奈良八景」(狩野永岳)
御常御殿、上段の間、中段の間、下段の間。
こちらが襖絵の説明です。
これは中段の間の襖絵。「
二の間にあった四季花鳥図の作者と同じ方ですね。
下段の間「高宗夢賚良弼図」座田重就・作。
こちらの蔀戸にも蝉さんがいました。
あら、こちらの蝉は羽の模様も描かれてますね。^-^
白い山茶花。
御所に咲いていると、花ひとつひとつにも、気品があるように思えます。
御三間。
「朝賀図(ちょうがず)」住吉弘貫・作
「賀茂祭群参図」 駒井孝礼・作。
この絵、牛車の様子がなかなか可愛らしいんです。
「駒引図」 岸 誠・作。
駒引とはコトバンクから引用しますと、
こまひき【駒牽・駒引】
〔「こまびき」とも〕①平安時代,御牧(みまき)から貢進した馬を,天皇が御覧になって,御料馬を定める儀式。毎年8月15日,のちに16日に行われた。②平安時代,毎年四月末,五月の騎射に先立って,天皇が左右馬寮・諸国の馬を御覧になる儀式。
らしいです。
この絵はどちらかな…②かしらんね?
やっとすべてを見終わりました。
これでも御所の一部で、すべてを公開しているわけではないんですよね…。
ここからは比叡山が見えました。
建礼門、外からの図。
御所の南側。
ほとんどの方は東側を行き来されるので、
この南側は一般公開の時でも人はまばらです。
この日(30日)大文字は霞んでいて、
「大」の字ははっきりとは見えませんでした。
(写真は10月30日午前撮影、および31日午後撮影。)
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