「紅葉便り-金福寺その1-」の続きです。
さて、山茶花の咲く小さな段になった小径をぬけると、
目の前に草庵があらわれます。
元禄の昔、住職の鉄舟和尚のもとに芭蕉が訪れ、
二人はこの草庵で語り合ったそうです。
そして和尚はそれまで無名だった庵に「芭蕉庵」と名付けます。
その後、この庵はすっかり荒廃していましたが、
その荒廃を惜しんだ与謝蕪村が、安永五年に庵を再興しました。
そして、この庵が落成したときに詠んだ句が
もみじの木が作り出す木漏れ日。
かつて蕪村もこの木漏れ日を眺めながら句を詠んだのでしょうか。
庵の前のもみじも色づき、緑、黄、橙、そして赤色のグラデーション。
お日様に輝くもみじ。
茅葺きともみじ。
庵のそばに植えられている一本の椿。
「西王母」という名前だそう。
「西王母」とは中国で古くから信仰されている女仙のこと。
まるでふわりと羽衣を纏ったような優しい雰囲気を漂わせます。
もみじをバックに咲く西王母。
芭蕉庵の少し奥まったところにある井戸。
ここで水を汲み、芭蕉をもてなしたと伝えられているそうです。
井戸のそばにあった芭蕉の句。
庵から少し入ったところに大きな「やまもも」の木があります。
樹齢三百年。京都名木百選のひとつになっています。
山のほうへ登って行くと、「与謝蕪村」のお墓があります
木立の間から見える芭蕉庵。
京都市内が一望出来ます。
与謝蕪村のお墓の横には、その季節ごとに詠まれた句が掲示されていました。
これは本堂の床の間に飾られた芭蕉の掛け軸。与謝蕪村の筆によるものです。
日に照るもみじたち。
お日様の光でオレンジ色に輝くもみじ。
さて、入り口の門の横に、
村山たか女が奉納したと言われる小さな弁天堂があります。
村山たか女は、井伊直弼の愛人であった女性であり、
直弼が江戸で大老になった頃、京都で幕府の隠密(スパイ)となって、
攘夷のものたちの動向を探索して長野主膳を通じて密報し、
「安政の大獄」に加担しました。
そのため、彼女は勤皇派に捕らえられたあと、
三条河原で三日三晩生き晒になったそうですが、その後助けられ、
文久2年に尼僧となって、金福寺に入りました。
その後、ここで十四年の余生を送っています。
NHK大河ドラマの第一回のヒロインはこの村山たか女。
原作は舟橋聖一氏の「花の生涯」です。
波瀾万丈であったであろう彼女の生涯。
この小説を今度読んでみようと思いながら、金福寺を後にしました。
<関連エントリー>
ところで昨日、(弁天堂の)写真を1枚撮り直しと、
先日行った時には、芭蕉庵のところのもみじはまだ青かったので、
赤くなっていたら、撮り直しをしようと思っていたのですが、
朝の芭蕉庵と夕方の芭蕉庵では、全然雰囲気が違っていたのです。
(そしてもちろん紅葉もすすんでいました。)
今回アップしたのは先週行った時の朝の芭蕉庵です。
当初、もみじが赤くなっているのに差し替えようって思っていたのですが、
朝と夕、どちらの雰囲気もそれぞれの味わいがあるし、
今回は「西王母」がメインということで、
昨日撮って来た夕方の芭蕉庵は、また別エントリーにしようと思います。
というわけで、その3に続く…。
(こうしてまたアップしたいものが増えていく…
あっぷあっぷ、写真の海で溺れそう…欲張りすぎ?!^-^;)