2月3日<節分>
夕方、吉田神社の「節分祭」へ。
月曜日だからか、去年よりはまだすいています。
「神鹿」
去年と前掛けの色が違いますね。毎年変わるのでしょうか。
(今年のほうがやや派手なような気が…^-^;)
今年も「菓祖神社」へ。
菓祖神社は、
果物の祖と言われる橘を日本に持ちかえったといわれる
田道間守命(たぢまもりのみこと)と、
日本で初めて饅頭をつくったといわれる林浄因命(はやしじょういんのみこと)を
祀っています。
Wikipediaによると、
ダヂマモリは11代垂仁天皇の命により、非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を求めて常世の国に渡った。10年かかって葉附きの枝と果実附きの枝を日本に持ち帰ってきたが、垂仁天皇はすでに亡くなっていた。タヂマモリは半分を垂仁天皇の皇后に献上し、残りを垂仁天皇の御陵に捧げ、悲しみのあまり泣き叫びながら亡くなったという。
タヂマモリが持ち帰った「非時の香菓」は、記紀では現在の橘のこととしている。「タチバナ」という名前自体、タヂマバナ(田道間花)が転じたものとする説もある。当時「菓」といえば果物のことであったが、この説話からタヂマモリは菓子の神「菓祖」として信仰されている。
なのだそうです。
それで「橘」の提灯なのか…。
豆茶とお菓子をいただきました。
去年行ったときは、お菓子はそばぼうろしかなかったように記憶していますが、
今日は他にもいろんなお菓子が山とありました。^-^;
「大元宮」にお詣り。
そして、今年は「厄祓人形(ヤクバライヒトガタ)」というのが目にとまりました。
ムスメが数えの19歳なので、厄祓い。
息を三度吹きかけ…とありましたが、代理の場合は吹きかけないそうです。
(ちょっと残念…^-^;)
鬼ころしが奉納されていました。
木彫りの鬼さん方相氏。
(追記)
この四つ目が気になって調べてみたら、これは方相氏だったみたいです。
Wikipediaによると、
方相氏(ほうそうし)と呼ばれる鬼を払う役目を負った役人(大舎人(おおとねり))と、方相氏の脇に仕える侲子(しんし)と呼ばれる役人(特に役職は決まっていない)が20人で、大内裏の中を掛け声をかけつつ回った。
方相氏は袍(ほう)を着、金色の目4つもった面をつけて、右手に矛、左手に大きな楯をもった。方相氏が大内裏を回るとき、公卿は清涼殿の階(きざはし)から弓矢をもって方相氏に対して援護としての弓をひき、殿上人(でんじょうびと)らは振り鼓(でんでん太鼓)をふって厄を払った。
ところが9世紀中頃に入ると、鬼を追う側であった方相氏が逆に鬼として追われるようになる[2]。古代史家の三宅和朗はこの変化について、平安初期における触穢信仰の高まりが、葬送儀礼にも深く関わっていた方相氏に対する忌避感を強め、穢れとして追われる側に変化させたのではないかとしている。
ということらしく、さらに吉田神社の追儺式(ついなしき)の説明では、
平安朝の初期より毎年宮中にて執行されていたものを、古式に則って厳修に伝承・継承されており、古の趣を現在に伝える数少ない神事の一つといえます。
その儀式は、大舎人が黄金四つ目の仮面を被り、玄衣朱裳を着装し、盾矛をとりて方相氏となり、・子(しんし※人偏に辰)という小童を多数従え、陰陽師が祭文を奏し終えれば方相氏大声を発し盾を打つこと3度、群臣呼応して舞殿を巡ります。最後に上卿以下殿上人が桃弓で葦矢を放ち、疫鬼を追い払います。
とありました。
いつも2月3日の節分当日にお詣りに行ってますが、
一度この前日の追儺式を見に行っても面白いかもしれません。
(追記終わり)
今年もぐるりと全国の神社をお詣り。
出雲大社もあります。
にごり酒のところで甘酒を…。
かなり酒粕が入った甘酒。桜の花の塩漬け入り。
そして河道屋で
今年も年越しそばをいただきました。
河道屋の献燈。
節分恵方巻と、
福豆をお土産に。
さて、抽選券は当たるでしょうか…。^-^
(おまけ)
今夜のお月さん♪
<関連エントリー>
去年の節分祭の様子はこちら↓
吉田神社の由緒についてはこちらに記載しています。↓
そして、2015年度分は、前日の追儺式の様子、
それから吉田神社のお守りの色、
梔子(くちなし)色についての秘密を書いています。
↓