11月の中旬、小春日和の日に、黒谷さんへ行ってまいりました。
通称「黒谷さん」、正式には「金戒光明寺」と言います。
道に落ちていた、桜の落ち葉♪
数年前の大河ドラマ「八重の桜」をご覧になっていた方は、
「金戒光明寺」の名前、聞き覚えがあるのではないでしょうか。
そうです、ここは会津藩の松平容保公が京都守護職に命じられて、
本陣を構えられたところでした。
これが金戒光明寺の全景地図。
広大な土地だからこそ、ここに本陣を構えられた訳ですね。
ちょうど山門の特別拝観をしていましたので、上にのぼってまいりました。
上ではいっさい写真撮影禁止なので、その風景をおさめていませんが、
ここからは、京都市内が一望出来るのです。
それどころかお天気がよければ、なんと大阪のあべのハルカスまで見えるのです。
この日はお天気がよかったので、平安神宮の横のずっと彼方に、
あべのハルカスの建物がかすかに見ることが出来ました。
昔は大阪城も見えたとか。
この山門からはもし京都を攻めようとするものがいたら、
それを見張ることが出来たのです。
かつて、新撰組の近藤勇や土方歳三も
ここから監視をしていたのかもしれません。
そんなことに思いを馳せながら眺めると、感慨深いものがありました。
山門に掲げられている「浄土真宗最初門」は後小松上皇によるもの。
この浄土真宗というのは、浄土の真の宗という意で、
所謂親鸞上人を祖とする「浄土真宗」とは別物とのこと。
この地が法然上人の開かれた浄土教の教えが始まったところという意味だそうです。
法然上人がここに降り立ち草庵を築かれたとき、
そらに紫色の雲が立ちこめたと言われ、それでここを黒谷と呼ぶようになったとか。
山門の天井には、龍の図。
山門に龍の図は珍しいらしいです。
そして十六羅漢さまがいらっしゃいました。
十六羅漢って、けっこう厳めしいお顔されているというイメージがあったのですが、
ここの十六羅漢像はどのお方も柔和なお顔をされていました。
なお、山門の特別拝観は12月6日までされています。
鐘楼。
納骨堂。
阿弥陀堂。
熊谷直実、鎧掛けの松。
御影堂。
こちらのお堂には、獅子に騎乗する文殊菩薩様がいらっしゃいます。
また、千二百余年前に吉備真備が中国から持ちかえったといわれる
栴檀(せんだん)を用いて刻んだ吉備観音さまが安置されていました。
大方丈。
松平容保公の書のほかに八重さんの書もありました。
八重さん、80歳を過ぎての書にもかかわらず、力強い運筆でした。
そして、若冲の「群鶏図」の屏風に出逢えました。^-^
予期せぬ若冲に、眼福、眼福♪ ^-^
あと、金ぴかの虎の間の襖絵の秘密(トリック)のお話を伺いました。
その話を聞いた日の夜、ドラマ「科捜研の女」(第15シリーズ、第4話)で、
まさにその「虎の間」が出てきてびっくり、^-^;
紫雲庭園。
法然上人の一生をこのお庭で表現されています。
ちなみにこの手前は幼少時代、美作の国の図。
石橋を渡っていたら、
まだ河骨(こうほね)が咲いていました。
そして、日向ぼっこしている(?)ツマグロヒョウモン。
池と方丈。
「いけのみつ 人のこころににたりけり
にこりすむこと さためなけれは」 法然上人
三重塔。
三重塔のそばから。
山門と京都市内がよく見えました。
さて、これは別の日、11月24日に再び訪れた時のこと。
山門前の紅葉がすっかり赤くなっていました。
こちらの紅葉もやっと色づいて。
五劫思惟(ごこうしゆい)の阿弥陀仏
アフロのような頭は螺髪(らほつ)というのだそうで、
長い修行を経た結果、髪の毛がのびてこのようなお姿になったのだとか。
金戒光明寺の見どころ・五劫思惟阿弥陀仏|浄土宗大本山・くろ谷 金戒光明寺
この日の三重塔。
そして紅葉の向こうに、京都タワーが見えました。
(御朱印)
吉備観音さまの御朱印をいただきました。
<関連エントリー>
会津墓地については、こちらの記事でふれています。
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12月に入りましたが、まだしばらく
11月に行った紅葉便りが続きます。m(_ _)m
(この黒谷さんの記事書くのに時間をかなり費やしたため、
ちょっと遅れております…^-^;;)