なんとなく前回に引き続き、歴史散策シリーズ(?)となっていますが、^-^;
今回は少し時を遡って、2月はじめに訪れた大徳寺塔頭のお散歩です。
この大徳寺の三門は金毛閣と呼ばれています。
応仁の乱で焼失した後、一休禅師の参徒で連歌師宗長の寄進により一階を創建。
その六十年後、千利休によって二階二層門となりました。
(天井に描かれた龍は長谷川等伯の筆によるものだそうなので、
一度機会があったら見てみたいものです。)
この楼上に利休木像を置いたことから秀吉の逆鱗にふれ、
利休切腹の原因となったと言われています。
ー☆ー
仏殿とイブキ。
仏殿の歴史(1665年再建)と同じくらいの歳の樹で、
イブキがここまで大木になるのは珍しく、
京都市の指定天然記念物となっているらしいです。
ー☆ー
さて、この日は京の冬の旅で「本坊」と「芳春院」の特別公開に行っていたのでした。
特別公開の様子は「京の小径」のほうに書いています。
↓
芳春院。
土塀と紅梅。
ー☆ー
さて、「芳春院」の拝観をすませて外に出てみると、
すぐ隣に「大仙院」という塔頭があることに気づきました。
本殿は国宝だったのですね。
この頃から「床の間」という様式のものが出来てきたそうで、
大仙院の「床の間」は日本最古と言われているらしいです。
それでは中に入ってみましょう。
建物の中と庭園は撮影禁止だったので、こちらの看板で…。^-^;
大仙院のお庭は歴史の教科書にも出て来る室町時代を代表する枯山水庭園です。
書院の前のお庭は鶴島と亀島の間の蓬莱山の滝から流れ出る様子を表し、
南庭に行くと、それが大きな海となって広がっている…そんなイメージでした。
表の沙羅双樹の樹。
この石畳は手前の子からはじまり時計回りに十二支を表しているそうです。
鐘楼。
鐘楼のそばの日光椿(じっこうつばき)。
一輪だけ咲いていました。
入り口の白梅も、
近づくとよい香りがしました。
(御朱印)
(お土産)
大仙院は「沢庵漬け」を考案したとされる沢庵宗彰和尚が
七世住職としてつとめた塔頭です。
昔ながらの作りで、大変美味しいたくあんでした。
「氣心腹人己」の書は、十三世住職 大和宗貴和尚によるもの。
「気は長く 心は丸く 腹立てず 人は大きく 己は小さく」の意だそう。
ー☆ー
大仙院を出て、その東隣にあるのは「真珠庵」です。
ここは一休禅師ゆかりのお寺だそうです。
入り口から。
真珠庵の案内板。
ー☆ー
こちらは「聚光院」、
千利休ゆかりのお寺です。
そして、茶道三千家(裏千家・表千家・武者小路千家)の菩提寺になっています。
ー☆ー
こちらは「総見院」
秀吉が信長を弔う為に建立しました。
鐘楼は創建当時のものだそうです。
ー☆ー
大徳寺山内図。
(むしやしない)
大徳寺バス停前にあるお店。
ワッフルいただきました♪ ^-^
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