風の小径

写真で綴る季節のひとコマ 

「五節の舞」と「京都御所の秋の特別公開(2023.11)」

NHK大河ドラマ「光る君へ」の第4回は「五節(ごせち)の舞姫」でした。

確か過去に行った京都御所の特別公開で「五節の舞」の展示があったなぁと思い出して、ちょっと掘りおこしてみました。

 

 ↓この写真は2014年の秋の一般公開の時のものです。記事はこちら。

kazenokomichi.hatenablog.jpそのときに書いた記事によると(もう書いたことも忘れてたけど、^-^;)

「五節舞(ごせちの舞)」。

起源は天武天皇が吉野宮で琴を弾いたときに、天女が舞い降り、

袖を五回ひるがえしたという故事からきているそうです。

毎年、新嘗祭のときに踊られていたそうですが、

今は大嘗祭(だいじょうさい、即位後の最初の新嘗祭)に

行われるそうです。

 

ということでした。

そういえば、さっきやっぱり五節の舞の話が気になって、さいとうちほさんの「とりかえ・ばや」を取り出して読んでみたのですが、8巻に同じように、天武天皇の話が載っていました。

↓さいとうちほさんのとりかえ・ばやの話は「木陰の本棚」に載せています。

kokagenohondana.hateblo.jp

 

これは2015年春の公開の時のもの。

↓その時の記事はこちらです。

kazenokomichi.hatenablog.jp

この時は紫宸殿の前の桜がちょうど満開で綺麗でした。^-^

紫宸殿の左近の桜(2015.4撮影)

 

こちらは「五節舞姫御前試(ごせちまいひめごぜんのこころみ)」

2015年秋の特別公開の時のものです。記事はこちら↓

kazenokomichi.hatenablog.jp

 

さて、2023年の1年の振り返りで少し載せましたが、11月に行った京都御所の特別公開の様子をあらためてここに記録として残しておこうと思います。

 

今は通年公開をしている京都御所ですが、特別公開時には、普段見られない襖絵などが公開されます。

 

ガラス越しなので、あまり綺麗に撮れていませんが、^-^;

この襖絵は皇后宮常御殿の御寝の間(ごしんのま)の四季花鳥図で、岸岱(がんたい)作 安政2年(1855)製作だそうです。

 

宜秋門(ぎしゅうもん)

 

今まで気がついてなかったのですが、門の蟇股がすごく凝ってました。

 

たぶん何かの故事だと思うのだけれど。

そしてたぶん、門の外側もきっと装飾されていると思うのだけれど、今まで気がついてなかったです、^-^;

 

 

 

承明門からの紫宸殿

 

紅から白へ ー時を生けるー 御室流

御室流では四季を表す代表的な色として、春は黄色、夏は青色、秋は赤色(紅色)、冬は白色と伝えているそうです。

 

光明に背面なし  月輪未生流

文殊菩薩がこの地を護り鎮座される姿と、智慧の光があまねく一切を照らす様子をイメージしたものだそうです。

 

風雪高潔  嵯峨御流

晩秋から初冬への世界を挿花されているそうです。

 

この日は管弦の催しがありました。

 

 
 
 
 
 
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スワイプしていただくと、3枚目と4枚目に動画があります。

 

お琴や琵琶ってこんなに緩やかに奏でるんだと少々驚きました。^-^;

ゆったりとした時間が流れていました。

 

紫宸殿

 

清涼殿

 

清涼殿

 

清涼殿

 

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清涼殿

 

御池庭にかかる橋

 

御池庭

 

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もみじが紅葉していました。


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この土橋は最近になって修復されました。

(去年のお正月の時はまだ修復中だった記憶)


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御内庭


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御常御殿 上段の間

 

桐竹鳳凰図 狩野永岳(かのうえいがく) 安政2年製作

 

堯任賢図治図(ぎょうにんけんとちず) 狩野永岳 安政2年製作

案内板によると、”古代中国の伝説上の王「堯」が、義仲、義叔(ぎしょく)兄弟、和仲(かちゅう)、和叔(かしょく)兄弟の四人に国の東西南北の地域を治めさせ、後の王となる舜(しゅん)を宰相に任命するなど、賢人を重用したことで国を平和に反映させた”という逸話が描かれているそうです。”

堯 - Wikipedia

 

中段の間

 

大禹戒酒防微図(たいうかいしゅぼうびず) 鶴沢探真 安政2年製作

狩野派の流れをくむ鶴沢派の7代目で、亡くなった父の後を22歳で継いだそうです。

 

ところで「禹(う)」というのは「夏王朝」の最初の王になった人ですね。

この襖絵は、儀狄(ぎてき)という酒造りの名人から献上されたお酒があまりにも美味しくて、それによって後世の人が酒におぼれ国を滅ぼすのではないかと考えて、儀狄を遠ざけたという故事を描いているそうです。

で、お酒の話はその後の「夏王朝」の最後の王、桀王とその后、末喜(ばっき)の話(肉山脯林)につながるようになっています。

末喜 - Wikipedia

 

下段の間

 

高宗夢賚良弼図(こうそうむらいりょうひつず) 座田重就(さいだしげなり) 

安政2年製作

 

高宗って唐の第3代皇帝のことかと思ったら、殷王朝の武丁のほうのようです。

ja.wikipedia.org

そして、この絵のもととなった話はこちらにありました。

ja.wikipedia.org

まさかここの襖絵の話で、中国古代王朝のおさらいをするとは思ってもみませんでした。(実は今、月に1回中国古代王朝の講座を受けている、^-^;)

 

この御常御殿での年中行事の解説で、黒、赤、白三色の小餅とあって、

黒って、何の材料で作るのだろう?と、これを読んだときには思ったのですが、

後日、鶴屋吉信さんで亥の子餅を購入したときに判明しました。

 

この鶴屋吉信さんの亥の子餅の由緒を見ると、黒色のお餅は黒胡麻で作られるようですね。^-^

 

御三間の杉戸絵

 

御三間は宝永6年(1709)に御常御殿の一部が独立したもので、七夕などの内向きの行事に使用されたと説明がありました。

 

以上、「五節の舞」と、去年の秋にあげそびれていた御所の特別公開の話でした。

(中国古代王朝の話がわたくし的にはとてもタイムリーだったので、今回の特別公開、行ってよかったです。^-^)